2025年10月14日。
日本FPS界を代表する伝説的プレイヤー、noppo(のっぽ)氏=谷口純也さんがこの世を去りました。
享年わずか37歳──あまりにも早すぎる別れです。
家族が公式X(旧Twitter)で訃報を発表し、ファンや業界関係者が深い悲しみに包まれています。
■ 死因:非公表のまま、静かに伝えられた訃報
noppo氏の死は、本人の公式アカウントを通じて家族が公表しましたが、
その中で死因に関する具体的な説明は一切ありません。
9月末までSNSを更新し、わずか2週間前のTGS2025(東京ゲームショウ)では
Twitch社員として登壇していたこともあり、突然の訃報に多くのファンが動揺しました。
「事故なのか」「病気なのか」──
現時点では、どちらとも断定できない状況です。
■ 具体的な病名:公表なし、ただし急病・心疾患の可能性も
noppo氏の具体的な病名は公表されていません。
しかし、いくつかの状況から“突然の体調急変”が疑われています。
- SNSの最終更新は9月末。体調不良を示唆する投稿なし
- TGS2025に出演し、関係者との対談も行っていた
- 訃報は「家族」名義で短く、原因について触れられず
こうした点から、長期療養や闘病ではなく、突発的な発症の可能性が高いと見られます。
専門家の意見では、若くして急逝したケースの多くは
- 急性心筋梗塞
- 脳出血・脳動脈瘤
- 急性大動脈解離
などの突発的な心血管疾患によるものが多いとされています。
また、ゲーム業界特有の長時間労働・睡眠不足・ストレスが
健康に影響していた可能性も否定できません。
とはいえ、これはあくまで一般的な医学的見解であり、
noppo氏本人の病名は公表されていないため、
現時点では**「非公開(不明)」が公式な立場**となります。
■ プロフィール:情熱と理性を併せ持つ“日本FPSの原点”
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | noppo(ノッポ) |
本名 | 谷口純也(たにぐち じゅんや) |
生年月日 | 1987年12月31日 |
没年月日 | 2025年10月14日(享年37歳) |
出身地 | 東京都 |
職業 | 元プロゲーマー/コーチ/解説者/Twitch社員 |
主な実績 | Asia E-sports Cup 2012 優勝、ESWC 2008 日本代表、WCG 2006 日本代表 |
好きなもの | FPS、ケツメイシ、日本食、白ワイン、岡本太郎 |
座右の銘 | 「情熱を忘れるな」 |
■ 学歴:高校からPCゲームへ、そして海外留学へ
- 高校入学時に初めてPCを手に入れ、MMORPG『Lineage』に熱中。
- 2003年、アーケード版『Counter-Strike NEO』に出会い、クランに加入。
- 2007年、スウェーデンへゲーム留学。
- 2009年、台湾へ語学留学。
- 2010年、台湾の大学に進学し、文化的・国際的な視野を広げた。
noppo氏は、早くから「世界に通じる日本人ゲーマー像」を描いていた稀有な存在でした。
■ 経歴:20年にわたる挑戦と進化
▼ 2003〜2005:国内シーンの幕開け
高校時代から『Counter-Strike』を極め、2005年に大阪の「AggressiveGene(AXG)」に加入。
国内初の“ゲーミングハウス”生活を送りながら、プロとして活動を開始。
▼ 2006〜2012:世界への挑戦
「4DimensioN」「PARANOID」「Speeder」などを渡り歩き、
2006年から世界大会(WCG, ESWC, IEF)に日本代表として連続出場。
特に2012年の「Asia E-sports Cup」では、
**壁越しに4人を連続キルする“とんでもないプレイ”**を披露し、
世界中のFPSファンを熱狂させた。
▼ 2015〜2025:指導者・運営者として新時代を支える
- DeToNator CS:GO部門のコーチに就任(2015)
- 「Jadeite」「SCARZ」VALORANT部門の指導を担当(2021〜)
- Twitch社員として「UTAGE VALORANT」シリーズを運営(2022〜)
選手、コーチ、運営──彼は常に「日本のFPS文化を未来へつなぐ」ことを使命として生きた。
■ 結婚相手:非公表ながら「家族」が訃報を発表
noppo氏の結婚については、公式情報は一切公開されていません。
ただし、訃報が「家族より」として発表されたため、
配偶者や親族が存在する可能性が高いと見られています。
彼のSNSは一貫して仕事・eスポーツ関連の投稿のみで、
私生活を語ることは最後までありませんでした。
■ 子供:公的情報なし
noppo氏に子どもがいたという情報は確認されていません。
しかし、eスポーツ業界の若手育成に力を注いでいた姿は、
まるで“業界全体の父親”のようでもありました。
彼にとって“次の世代”こそが、未来への遺産だったのかもしれません。
■ 人柄:穏やかで誠実、でも芯の強い人間
noppo氏は、常に落ち着いた語り口と冷静な判断で仲間から信頼されていました。
好きな映画は『ショーシャンクの空に』、『ライフ・イズ・ビューティフル』。
そこには、彼の「逆境でも希望を忘れない」という哲学が滲んでいます。
尊敬する人物・岡本太郎の言葉
「自分の中に毒を持て」
その言葉を胸に、noppo氏は誰よりも真っすぐに“自分の道”を貫いた人でした。
■ まとめ:noppoが遺したもの、それは“文化”
noppo氏は、ただのプロゲーマーではありません。
彼は「日本人が世界で戦える」という信念を最初に示した先駆者でした。
プレイヤーとして、コーチとして、そして運営者として──
FPSを“競技”から“文化”へ昇華させた功績は計り知れません。
彼が最後まで見つめていたのは、
**「次の世代がもっと自由に夢を描ける世界」**だったのではないでしょうか。
ありがとう、noppoさん。
あなたが築いた道は、いまも多くのプレイヤーが走り続けています。
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